京都の寺院と紅葉
2015/12/24
洛東
臨済宗大本山 東福寺
慧日山東福寺は京都五山の一つで、摂政関白九条道家公の「浩基を東大に亜ぎ、盛業を興福に取る」との発願によって創建された大道場である。奈良の都にある東大寺・興福寺に比肩する大寺院ということで、両寺から一字ずつとり東福寺と名付けられた。
清水寺
京都でも数少ない平安遷都以前からの古刹。清少納言が「枕草子」の中で参道の風情に触れ、「源氏物語」夕顔巻で光源氏がその賑わいを間近に見る様子が描かれていることからも、平安の昔より人々に信仰・参拝されてきたことが窺える。
寺の起源は宝亀9年(778年)、延鎮上人が夢のお告げで音羽山にたどり着き、草庵を結んだことによる。
鷲峰山 高台寺(臨済宗)
方丈、書院、開山堂、霊屋・・・
高台寺の境内にならぶ伽藍は、そのどれもが桃山時代を代表する寺院建築。華麗な蒔絵が施された絢爛豪華な内観が、「高台寺蒔絵」の名で知られる日本の漆工芸美術の頂点。訪れる人々はみな、この美しさに見とれてしまうとか。さすが、派手好みで知られた豊臣秀吉の霊を慰める寺だけのことはある。
浄土宗西山禅林寺派 総本山 永観堂禅林寺
「もみじの永観堂」で知られる、洛東では随一の紅葉名所である。
禅林寺は平安時代初期、弘法大師の弟子にして真言宗の僧侶であった真紹僧都が創建したもので、真言密教の道場として始まる。現在は浄土宗の寺院である。
臨済宗 東山慈照寺(銀閣寺)
洛東随一の観光名所。もともとは室町時代の将軍・足利義政の邸宅として建てられたもの。東山の峰々を借景とした庭園や趣向を凝らして建てられた銀閣が、東山文化の残香を現代に伝えている。義政の死後は禅寺となった。
洛北
洛西
臨済宗相国寺派 鹿苑寺(金閣寺)
足利3代将軍義満が造営した別送北山殿を、遺言によって夢窓疎石が禅寺に改めたところ。金閣寺とよばれるのは、舎利殿「金閣」が特に有名なためで、鏡湖池に影を写す金閣は特に美しい。義満が好みのままに作らせた池泉回遊式庭園(特別名勝)も、お茶の井・厳下泉・龍門瀑などがある。
臨済宗妙心寺派 大雲山龍安寺
龍安寺は宝徳2年(1450年)、足利将軍の管領職にあった細川勝元が徳大寺公の山荘を譲り受け、妙心寺第5世の 義天 元承禅師を開山に迎え創建した。明応8年(1499年)には方丈が建立され、石庭もこの時に築造されたとされるが、寛政9年(1797年)に方丈、開山堂、仏殿を火災によって焼失した。現在の方丈は塔頭・西源院の方丈を移築したものである。
小倉山 二尊院
承和年間(834〜847年)に嵯峨天皇の勅願により建立されたのが起源で、本尊は釈迦如来像と阿弥陀如来像の二尊。二尊に参拝すれば、一度に現世と来世両方の幸福を得られるという教えから、庶民から公家まで幅広い帰依を受けて栄えた。伏見城の薬医門を移築した総門もある。
落柿舎
芭蕉十哲の一人である向井去来の遺跡。庭には彼が詠んだ「柿主や こずえはちかき あらしやま」の句碑がある。
晩年の芭蕉はここに立ち寄り滞在したとされ、「嵯峨日記」の最後に「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」と落柿舎でくつろぐ様子が詠まれている。
臨済宗天龍寺派大本山 天龍寺
霊亀山天龍寺は暦応2年(1339)8月、後醍醐天皇が崩御されたおり、その菩提を弔うため、夢窓疎石が足利尊氏に進言し、光厳上皇の院宣を受けて開創されたもの。
両側に塔頭が並ぶ参道を進んだ奥に法堂と大方丈が建ち、その裏に夢殿疎石作の雄大な曹源池庭園(特別名勝)が広がる大寺。臨済宗天龍寺派の大本山で、京都五山帯一位の格式を持つ。世界遺産にも登録されている。
洛南
真言宗醍醐派総本山 醍醐寺
弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝(しょうぼう)が、貞観16年(874年)に創建した。山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った聖宝は、白髪の老翁の姿で現れた地主神・横尾明神より、こんこんと水(醍醐水)が湧き出るこの山を譲り受け、准胝・如意輪の両観音を刻み、山上に祀った。それが醍醐寺の始まりである。
山野草
参考文献:京の古寺あるき(実業之日本社)